いまやMLBの顔になりつつある大谷翔平選手。
100年前のベーブ・ルースという選手を引き合いに出さなければならない異質な選手のために、
長い歴史があるMLBで大谷ルールというのものを作ったのは記憶に新しいと思う。
そのジャンルに多大な影響を持つ選手が、ルールそのものを変えてしまうということは
過去にもあったのだけれども、その影響力は考えてみると想像を絶するわけで。
世界中の才能が集まる中で、あまりに異質なため根本から変えてしまうというのは凄まじい。
ということで、スポーツのルールそのものを変えてしまって驚いた事3選を。
一つ目はバスケットボール。
日本でも人気のあるアメリカのNBA。
そのNBAで1960年代に活躍したウィルト・チェンバレンという選手。
1試合で100得点したり、55リバウンド取ったりと、60年経ってもいまだ破られない記録保持者。
216cm、125kgという当時としては異質な体格とスピードを誇っており、
バスケットIQも非常に高く、恐ろしいのは1試合48分で行われるNBAで、
あるシーズンの平均出場時間が48.5分という体力おばけな記録も持っている選手。
小学生の中に大人げない大人が混じっているようなかんじ。
そんな大人げない大人をルールで不利にしないとゲームにならんと、
もっと大人げない人たちがルールを変更。
ゴール下ではオフェンスは3秒以上居ちゃいけないとか、
その3秒しか居られないペイントエリア(コートのゴール下、色が変わってる部分)の広さを変えられたりだとか、
当時は許されていたジャンプしながらゴール近くでのシュートもダメになったのだけれど、
チェンバレンはボールをトスして全力疾走し空中でボールを掴んでそのままダンクしていた。
・・・。うん、これは変更されてもしょうがないかな。
まああまりに異質で圧倒的だったので根本を変えるしかなかったんでしょうね。
二つ目はサッカー。
サッカーの王様と呼ばれたブラジルの至宝、ペレ。
本名はエドソン・アランチス・ド・ナシメント。
何度もブラジルをW杯の優勝に導いて、
いまだに史上最高の選手と言われるスーパースター。
そんなペレが1966年のイングランドW杯に出場した時、
もともと膝にケガがあった中強硬出場してポルトガル戦で悪化。
当時のサッカーは交代が認められておらず、
ケガをして退いた場合は人数が少ない状態で続行されていたそうで、
相手のラフプレーについにペレが負傷退場。
W杯3連覇が潰えた後のインタビューでペレは、反則に対して何もしない審判と、
敗戦のイライラから、もう2度とW杯には出ないと宣言。
それに慌てたのがFIFA(国際サッカー連盟)で、
次大会の1970年メキシコ大会からは交代を認め、
さらにイエローカード、レッドカードの提示をすることに決めたのだとか。
世界を巻き込むほどの影響力を持つ選手だからこそのルール変更。
交代が無いだとか、判定も曖昧なんて今では考えられないけれど、
ペレという偉大な選手だからこそ変えられたというのは逆に皮肉かも。
最後に水泳。
1956年のメルボルン五輪でのこと。
日本の古川勝選手が200m平泳ぎで金メダルを獲ったのだけれど、そのスタイルが物議を醸すことに。
古川選手は一般男性の2倍以上の肺活量があったらしく、潜水泳法という潜ったまま浮上せず、
差を生んでから水面に顔を出す泳ぎ方で他を圧倒。
もちろん他の選手も古川選手の真似をしたけれど、
他選手が20m~25mで浮上する中、古川選手は40m以上の潜水をしていたのだとか。
2位と2秒以上の差をつけての金メダル。
ただあまりの強さに脅威を感じた国際水泳連盟はルールを変更。
メルボルン五輪後は潜水泳法の禁止、飛び込み時とターンのみの潜水以外は長い距離を潜ること自体が禁止された。
結局その後はこの時のベストタイムを上回る事は出来なかったけれど、
世界に脅威を与え、ルールを変更させるくらいの衝撃を見せた古川選手。
ただただ感心してしまうばかり。
全てのスポーツがもっとより良くなるためにルールは日々変更が検討されているけれど、
たった一人の選手が起こした衝撃により歴史が変わるというのはとても面白い。
選手だけでなく裏方さんにもそういう人はいそうなので、まだまだ調べてみようかと。